水中カメラマン 河野英治

河野 英治Eiji Kono

合同会社)水中映像工房・凪 代表

湘南の鵠沼海岸で生まれ育つ。大学時代からスキューバダイビングを始め、水中写真に夢中になる。1986~87年に北海道・知床半島で流氷ダイビングを行い、当時ほとんど存在を知られていなかった「氷の妖精クリオネ」の撮影に成功。いくつもの雑誌で写真を発表し、大きな反響を得たことで「プロ水中カメラマン」になることを決意。その後日本初となる「学生プロ水中カメラマン」として雑誌のグラビア取材を開始する。1988年大学卒業後、ダイビング専門の出版社に入社し、フォトグラファ-兼ライターとして世界の海に潜る。

1991年 NHKが行ったキャリア採用で中途入局。ドキュメンタリー番組から災害事件報道までの陸上撮影を行いながら、潜水取材班として数多くの水中番組の企画・撮影を手がける。

全長25mを超えるシロナガスクジラやホホジロザメなどの大型生物から、大きさ1~2cmほどのキンチャクガニやクラゲといった小さな生物まで、その生態を撮影するほか、熱帯の孤島に住む素潜り漁師やエーゲ海に沈む紀元前の海底遺跡のドキュメンタリーなど、これまでにおよそ100本の番組を制作し、「新聞協会賞」などを受賞してきた。

1998年 小笠原諸島の「マッコウクジラとダイオウイカ」をテーマとした取材を開始し、その番組はNHKスペシャル、ダーウィンが来た!さらにBBC、ZDFなど海外テレビ局でも放送。「ダイオウイカブーム」として世界的な反響を得た。

環境問題を取り上げた番組も多く手がけており、3年にわたって取材した「沖縄・泡瀬干潟」の番組は、埋め立て反対原告団が「埋め立て違法判決」を裁判で勝ち取る原動力の1つになったといわれている。またNHK潜水取材班のデスクや講師を長年担当し、50人以上のカメラマンを育成してきた。

2023年、NHKを早期定年退職し、水中映像工房・凪を設立。フリーカメラマンとして活動を開始した。

小笠原の外洋で潜水艇を撮影

小笠原の外洋で潜水艇を撮影

昭和時代、ニコノスに「ピントが合えば奇跡!」と言われた中間リングをつけて撮ったクリオネ

昭和時代、ニコノスに「ピントが合えば奇跡!」と言われた中間リングをつけて撮ったクリオネ

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